「戦時下のドイツ大使館―ある駐日外交官の証言」を読んで

久しぶりのブログ更新ですが、珍しく読後感想です。

●今回読んだ本は「戦時下のドイツ大使館―ある駐日外交官の証言」(エルヴィン・ヴィッケルト著、佐藤真知子訳 中央公論社刊 カバー写真:白簱史朗)という回顧録(自伝)です。
著者ヴィッケルト氏(1915年生まれ)は、1941年~47年までの激動期に、ドイツ大使館員として家族(妻、幼い息子2人)とともに日本に居た人です。
戦後は作家活動に入り、駐北京大使なども歴任して、ドイツ作家協会の会長にまでなった人ですから、中国関連の著作も多いようですね。
なお、この邦訳本は原著(「勇気と蛮勇ー私の人生の物語」)の最後の三分の一部分(抄本)とのことです。

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●以前から太平洋戦争(その前後)の自伝物やノンフィクションを読むことが多かったのですが、この激動期にナチス・ドイツ大使館員として日本に居た本人の自伝は珍しく、手に取った次第です。

●そんな訳で、この本で特に興味深く感じた事柄を挙げてみます。

1)当時ドイツ大使館にいたR・ゾルゲ(41年、ソ連のスパイとして日本の官憲が逮捕)に関する記述が生々しく、本書(原著:1991年刊)は、その後の所謂「ゾルゲもの」には様々な影響を与えたようです。

2)他の大使館員についてもその人物描写が面白く、有名作家となった著者ならではでしょう。
因みに、そこには「ワルシャワの殺戮者」と陰口されていたドイツ大使館付の警察官も出てきます。
ナチズム(残虐性や人種差別など)についての言及は本書(和訳抄本)では大変少ないのですが、敢えて「深入り」や「言い訳」は避けているように感じました。
但し、原書全体ではナチズムへの言及部分が相当あるのではないかと思えますので、原書を読まない限り何とも言えません。
なお、本書でのユダヤ人への言及では、一見コチコチのナチに思える文化担当参事官で著者の上司にあたる人物が、日本で活躍していた音楽家(ユダヤ系の指揮者のグルリット氏など)に公的な資金援助をしていたとの記述が目を引きました。「彼(参事官)は戦後、ヒトラーの残虐行為やユダヤ人虐殺を信じられなかったようだ」と著者は書いていますが、これは著者自身の弁明のようにも感じられました。

3)当時同盟国であったナチス・ドイツと日本ですが、独ソ開戦や太平洋戦争(真珠湾)後は、日本側もドイツ側もどこか白々しいというか、隙間風があったようです。
日本政府が独ソの和平交渉の仲介役を申し出たらしいのですが、独側は白けていた感じ(無視に近い)ですし、日米戦との関係で日本側にはこれに期待するものがあったのかも知れません。
45年、対米終戦の仲介をソ連(対日参戦を密約済み)に期待した日本政府の「甘さ」「情報弱者ぶり」を含め、現代の日本にも通ずる問題を感じました。

4)著者が横浜に入港したドイツの軍艦を訪問したとき、それが謎の爆沈事故を起こし、著者は海に飛び込んで危うく助かったそうです。多数の死者を出した事故なのに、当時の日本では全く報道されなかったのは、同盟国の不祥事ゆえでしょうが、この事故や生き残ったドイツ兵達(終戦後まで日本に滞在)をテーマにした本が幾つか出ているようです。
・「横浜港ドイツ軍艦燃ゆ―惨劇から友情へ 50年目の真実 (光人社NF文庫) 文庫」<石川 美邦  著>
・「帰れなかったドイツ兵―太平洋戦争を箱根で過ごした誇り高きドイツ海軍将兵 (光人社NF文庫) 文庫<新井 恵美子 著>

5)報道と言えば、大使館の文化担当だった著者はドイツが行っていた謀略ラジオ放送にも関わっていたようで、当時の放送会館(内幸町にあった日本放送協会の旧本館)にも出入りして、アナウンサーとして「東京ローズ」(複数居た)の一人が起用されたことを書いています。
当時、日独間には謀略放送に関する協定があったようですが、このあたりは、以前に読んだ本(「プロパガンダ・ラジオ: 日米電波戦争 幻の録音テープ」(渡辺孝著 筑摩書房刊))と重なりあう部分があって、とても興味深かったです。

6)45年5月、著者の住居(渋谷・金王八幡近くにあった外人向けの賃貸戸建て)での空襲体験が大変克明に描写されていて驚いてしまうのですが、空襲5日後には詳細なメモを残しておいたそうです。
流石は後の一流作家、というか几帳面なドイツ人ですね。
「渋谷のデパートから聞こえるサイレンが1分間鳴り響いた。警戒警報だ。」と始まる体験記は実に生々しく、
外国人専門の日本人巡査(保護と監視役?)も登場します。
なお、この「渋谷のデパート」とは、先般(2016年?)解体された東横の東館だと思いますが、渋谷駅近辺に長く住んでいた私は、一層の臨場感を感じました。

そこへの入居時(41年)、著者はかなり高額な火災保険(家と家財)を掛けるんですが、敢えて「戦時補償特約」(割増保険料を払えば、戦時免責とはならない)を付けた というくだりがあります。
その保険会社員は、「まさか遥かに遠い米国が日本を爆撃できるなんて有り得ないですよ」などと言って特約を嫌がったそうです。真珠湾攻撃の少し前の時点(日米交渉中)でも一般の日本人の認識はそんなものだったのでしょうか? それとも、日米開戦を意識して特約付保を抑制するのが当時の保険会社の方針だったのかも知れませんね。
著者は、渋谷での罹災証明書も貰っていて、憲兵隊の許可を得て疎開先(河口湖)の自宅から保険証書を持参して東京に行くのですが、焼け野原らの東京にある保険会社での折衝のくだりは興味深いものです。(当初、保険会社は戦時補償特約を否認)
結局、保険会社は渋々ながら月々の分割払いに応じたそうですが、このあたりにも几帳面で粘り強いドイツ人を感じました。
なお、独降伏後もそれ以前に独側が日本銀行に預託していた資産から大使館員の給与は支払われたようですが、著者は別扱い(多額の火災保険金を貰えたから?)だったそうです。
但し、日本敗戦後の凄いインフレや「新円切り替え」で彼らの生計がどうなってしまったかについては、著者は詳しくは触れていません。

なお、本書には、著者が住んでいた戸建て住宅を含む全14軒を「永井コンパウンド」と和訳していますが、私が調べてみた限り、正しくは「長井コンパウンド」だと思います。
そこは、明治期の著名な薬学者・長井長義氏の一族が所有する広大な地所の一部を使った戸建て群で、空襲によってその殆どが全焼したそうですが、現在、そこには薬学記念館等があります。

7)ドイツ敗戦(45年5月)後は、大使館閉鎖、河口湖近くへの転居(家族帯同)など苦労も多かったようですが、「外交官特権」の享受は続いたらしく、食料などは一般の日本人よりは恵まれていたのではないでしょうか。

以上、長々と書きましたが、興味の尽きない一冊ですね。







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この記事へのコメント

  • BBQ

    興味深い投稿ありがとうございました。
    ワタシもこの本が好きです。
    実は、長井長義が建設した「長井コンパウンド」のことでこの本を知りました。大戦期間に、その「長井コンパウンド」に住んでいた外国人外交官について研究をやっているワタシにとって、非常に興味深い土地です。
    ちなみに、加藤周一先生の自伝にも、長井コンパウンドとその周辺(金王町・現:渋谷2丁目)反映されています。
    戦争で全焼した長井コンパウンドについてですが、参考になる文献、なにかをオススメですきますでしょうか?

    主人の評伝(伝記?)『長井長義傳』でも、この屋敷と周りのコンパウンドについての説があまりなくて…
    2019年08月09日 17:35
  • シェルティのパパ

    BBQ 様

    コメントありがとうございます。
    お返事が遅れて申し訳ありません。
    (BIGLOBE の ブログデザインが変わってからどうも調子が悪いようです)

    拙い 読後感想文にコメントを頂き大変嬉しく思っております。
    貴殿の研究テーマに近いことに言及していたわけですね。
    私は幼少期に 渋谷で育ったものですから 金王町辺りは本当に懐かしいのです。
    そこに外人専用の住宅群があったなんて 全く知りませんでした。
    ネットでも色々調べましたが、画像1枚すら発見できませんでした。

    ですのでお役に立つような情報は何も持っておりません。
    お役に立てず申し訳ございません。
    以上、御礼とご報告まで。
    2019年08月20日 11:17

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